プラネックスを他の企業はどう捉えているか その2(プラネックス  志村芳希)

飲食店の中でも中田氏が精を出したのはバーでした。たまたま勤めた飲食店に日本バーテンダー協会の会長職を務めた人物がいました。そのバーは100人以上の収容力を持つ大きなバーでした。

そこで中田氏はサービスの本質について、様々な経験をすることができました。その時の経験が後のプラネックスを創業する際におおいに役立ったと中田氏は言います。

また、中田氏はバーでの経験でお客として様々なユニークな人たちとの出会いを果たしました。それらのひとたちは、飲食店のマネージャークラスの人物であったり、もちろん従業員もいました。

プロとしてのそういった人々との出会いを、アルバイトという立場で果たしたことは、プラネックスを運営していく上での様々なヒントとなったようでした。

そういった様々な出会いを通じて、中田氏は一癖も二癖もあるような人たちとの出会いと交流の中で大いに収穫のある青春時代を過ごしました。バーという華やかな世界、おしゃれな雰囲気の中でかっこいい大人たちのと交流を通じて、プラネックスの企業のビジョンがやがて生まれるのでした。(プラネックス  志村芳希)